★加速度的な情報化に疲れたときに・・・★

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photo credit: tsevis via photopin cc

インターネットの発達とともに普通の人でも凄まじい量の情報を得ることができるようになった現在
求められているのは情報を取捨選択する能力だと思う

私が小学生だった頃、家にインターネットが開通した。まだダイアルアップ接続の頃で、つなげば電話は使えなくなるし、もちろんすごく通信料がかかるから一瞬つないでは切る、亦新しいページを開いては切るということを繰り返しながらのネットサーフィンだった。
もちろん子供だけで触ることは許されていなかった。

そんな子供時代、本や雑誌、コミックはそれこそ最後についている宣伝ページまで一文字も漏らすまいと読んでいたし、お風呂に入るときはシャンプーや入浴剤、母の化粧品の裏面まで舐めるように読んだ。
きれいな包装紙に雑誌の写真は捨てられず切り抜きスクラップした。本はなかなか捨てることができなかった。

インターネットの発達だけではなく、年齢に伴って使えるお金や触れられる情報が増えたこともあるのだろうけれど、小学生の頃のような活字や情報に対する飢えがなくなり、そこら中に溢れるものとして見なすようになった。TumblrやFlipboard、各種タイムラインに流れてくる写真を見るにつけ、こんなにもセンスのいい写真が無料で垂れ流されているのかと思うとびっくりする。
さらにいうとよっぽどのことがないと保存しようという気にすらならないのだ。
保存してもおそらく見返すことはほとんどないだろうし、また見たいと思えば検索すれば同様のものか、それ以上に魅力的な写真がまた見つかるからだ。ちょっとした細部が気に入って長年捨てられなかった雑誌の切り抜き達とは大違いだ。

分からないと思えばちょっとググるだけでいい、小説に出てきたジャックシェパードとはだれか、オリーブの首飾りとはどんな曲か、グレタ・ガルボはどんな顔をした女優なのか、はたまた引き合いに出された映画のワンシーンとはどんなものか・・・
蛍光灯はどんな仕組みで光るのか…
英語の勉強がしたいと思えば、無料で英語のニュースを視聴することも読むこともできる。
おそろしいほどに簡単に無料の情報が手に入る。
往年の活字中毒者達のエッセイを読むといかに、活字や情報を取り巻く状況が変わったのかを実感することができる。


現代の人間が一日に触れる情報が江戸時代の人間が一生に触れるのと同等な量だといわれて久しいが

指数関数的に進む情報化社会において、今では巧く換算すらできないのではなかろうか
下手するとここ2〜30年ですら大きな差が生まれているのではないだろうか

それだけの情報に溢れた社会では取捨選択こそ大切になってくる、重要でないと判断したら、目を通すまでもなく切り捨てる、そして有益な情報をいかに短時間で見つけ出すのかという事が求められている。
nittiもその流れは仕方ないことだと思うし、普段はいかに効率的な情報収集をするかとRSSやSMSやらをこまめに設定し直している。
でも最近ちょっと疲れてきた。

もういいじゃないかと

情報を追い求めるのではなく追いかけられている、そう感じることが多くなった。
読みたいと保存した記事に、目を通さねばならない(らしい)論文に、50をゆうに超える積読本に、見ようとチェックを入れた映画に


贅沢な悩みかもしれないけれど、本当ちょっと疲れた


いらない、全部捨ててしまおう、じゃないけれどそんな気分になってしまっているかもしらん


と落ちがないんですがもやもやとしたので書きなぐりました
情報と活字とネットとなんかいろんなものが一緒くたになっていますが、どうやら情報に振り回され気味の自分の日常に苛立っていたようです。


今日は書き溜めているタスクリストを一度全て消してみようと思います




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[ 2013/01/23 07:21 ] デジタル・ライフハック | TB(0) | CM(0)

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